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『戦没学徒記念 若人の広場』

【はじめに…】

 先の大戦が終結して本年(平成十九年)で六十二年目を迎え、我々の父母の世代が最後の戦争体験者になりつつある。北朝鮮の地下核実験、弾道ミサイル発射、拉致問題並びに中国との尖閣諸島、韓国との竹島の領有権問題等、今日の我国と近隣国との関係は、俄かに一触即発な情勢であり、戦後の一国平和呆けは破られつつある。いったい我国の行先、また子供達の世代にはどのような時代になっているのであろうか。そんな危機感を懐きながら、近年の戦争映画「聞けわだつみの声」「男たちの大和」などの映画を見ると、六十二年以上前に起こった戦争について、当時の人々、なかでも若い世代の人達が、国の行先を同じように憂い、御国の為、家族の為、志半ばで我が身を捧げていった事実を映像で突き付けられ、そのことを思うと感慨無量になる。今日の平和への礎となり散華された人々のことを想うとき、私をはじめとして無秩序な平和に甘えきった現代の社会を何と思われるであろうか。「こんな堕落した国にするために私達は命を捧げたのではない。」と思っておられるに違いない。国の為、家族、子供達の為、自分がいったい何を為せるか考えるとき、自分の不甲斐無さを痛感させられる。
 さて、我県、兵庫県の淡路島には、昭和四十二年に戦没学徒を慰霊する施設「戦没学徒記念 若人の広場」が開設された。全国に種々の慰霊施設があるが、平和を希求し、学び半ばで動員され亡くなられた学徒達を慰霊する、我国唯一の施設である。

【戦没学徒記念 若人の広場とは…】

 若人の広場は兵庫県南あわじ市の福良港を見下ろす大見山の高台にあり、大東亜戦争で戦地又は軍需工場等に動員され亡くなられた、二十万人余の学徒の御霊を慰霊するために開設された。同年十月九日には秋晴れの空の下、秩父宮妃殿下がご臨席になられ厳粛盛大な竣功式が挙行された。施設は世界的な建築家・故丹下健三氏の設計により、慰霊塔は学徒の象徴としてぺん先を模った高さ二十五メートルの塔で、併設の展示資料館は塹壕をモチーフに建設されている。昭和四十七年十一月八日には、竣功五周年を記念して当時の皇太子殿下、同妃殿下(天皇皇后両陛下)ご臨席のもと、『戦没若人のための慰霊祭』が執り行われ、開設当初は多くの来訪者があった。


〔皇太子殿下のお言葉〕

 本日、この「若人の広場」に臨み、遺族の方々と戦没学徒慰霊祭を共にすることを、まことに感慨深く思います。さきの戦争中、幾多の同胞を失ったわたくしたちは、またその中に二十万余の年若い学徒たちが含まれていた事実を忘れることができません。若人の死を思い、その遺族の方々の心情をしのぶ時、悲しみと痛恨の思いが胸にせまるのを覚えます。
 この広場を訪れるこんにちの若人が、ここに刻まれた歴史の事実とその重みを深く考え、ここに燃えつづける「ともしび」の理念を心に刻み、平和への願いを絶やさず、あすにむかって生きていくことが、戦没した学徒へのせめてもの慰霊でありましょう。
 ここに戦没された学徒の霊に心から哀悼の意を表し、集まられた遺族の皆さんとともに、深く冥福を祈りたいと思います。



 しかし、陛下のお言葉もむなしく、「若人よ天と地をつなぐ灯たれ」と銘板に刻まれ、永遠の炎を灯すことを約束していた慰霊塔下のガス燃焼の聖火設備は、その炎が消されて久しい。

【若人の広場の現状は…】
 来訪者の激減と運営する二財団の経営不振により閉鎖に追い遣られ、現在は荒廃を極め、建物内へ侵入して施設に落書きや破壊する者まであり、大変憂慮される状況である。敷地への入り口は開放されているが、資料館等の施設は進入禁止(通常)とされており、周辺の石垣などは危険回避措置が執られてはいるが、訪問の際は注意が必要となっている。


 阪神淡路大震災が襲った平成七年は大東亜戦争終結五十周年の節目であり、淡路国一宮伊弉諾神宮の本名孝至宮司(当時、伊弉諾神宮禰宜)は、「若人の広場」でもそれなりの儀式が営まれるであろうと財団に問い合わせたところ「追悼行事の予定はない。財団の代表何名かが國神社に参拝してこれに代える。」との冷淡な回答であった。本名宮司としても五十年忌は宗派を越えて重要な祖霊儀礼であり、年内に何としても追悼の儀式をご奉仕することが、今に生き生かされる者に与えられた責務だと思われ、池邊孝氏(現、全國戰歿學徒を追悼する會顧問)を発起人代表として、故瀧川福市氏(当時、淡路二十一世紀協会理事長・淡路信用金庫理事長)や坂川一弘氏(当時、三原郡南淡町長)らの協力を得て、開戦記念日にあたる平成七年十二月八日に『第一回全國戰歿學徒追悼祭』を齋行された。
 本名宮司、池邊氏をはじめとする方々は「全國戦歿學徒を追悼する會」を組織し、平成七年より毎年、当施設の復興への願いを込めて『全國戦歿學徒追悼祭』を齋行されている。第九回(平成十五年)より昭和十八年十月二十一日小雨降る明治神宮競技場での出陣学徒壮行会(開戦以来関東地方の大学七十七校、七万人を集めて繰り広げられる。)が挙行されたのと同日に追悼祭を齋行することとし、関係者のご努力により平成十九年で第十三回を数えている。本年も日本会議を構成する宗教団体をはじめ、宗教の枠を超え百名を越える参列のもと、神道儀礼をもって執り行われた。「全國戦歿學徒を追悼する會」も平成十六年には永田秀一氏(現、日本会議兵庫県議連会長・兵庫県議会議員)を会長として幹事会を発足し新体制に移行し、より活発な活動を展開されている。

【神道青年会が祭典を奉仕させて戴くことに…】
 平成十七年は、大東亜戦争終結六十年の節目の年に当り、『第十一回全國戦歿學徒追悼祭』が厳粛盛大裡に齋行され、大戦で逝った多くの若人の年代に近い世代の神職である、兵庫県神道青年会が中心となっての祭典奉仕が適い、井上優会長(当時・現、顧問)を齋主に十二名が奉仕し、兵庫神青より参列者含め二十名もの青年神職が集うことができた。平成十八年の『第十二回全國戰没學徒追悼祭』の奉仕に引き続き、本年(平成十九年)の『第十三回全國戰没學徒追悼祭』は神道青年近畿地区連絡協議会の会員のご奉仕を戴き、近畿地区会長、近畿二府四県の各単位会会長を始め多くの神青会員にご参列を戴くことができ、近畿地区の青年神職が志を同じくして、共にご奉仕並びに参列することができた。兵庫県神道青年会長谷川会長を齋主に祭詞奏上の後、海上自衛隊喇叭(ラッパ)隊の吹奏をはじめ淡路神楽奉奏、キリストの幕屋信者による賛美歌奉唱、淡路市長澤の東山寺(とうさんじ)住職竹内慈皓氏等による般若心経読経と、宗教の枠を超えたそれぞれの作法で学徒の御霊を慰霊した。

    
      

  
【展示資料館に寄贈された遺品は…】
 展示資料館の遺品約二千点は、広場が閉鎖された後放置されていた。窓ガラスがことごとく割られた資料館には雨風が吹き込み、寄贈された方々の思いも虚しく、遺品は雨水に濡れて床に散らばり無残な状態となっていた。その後、展示館は放置状態となっていたが、遺品の恒久的な保管のため地元、森紘一氏(旧三原郡南淡町長)からの働きかけによって整理され、平成十六年の師走に立命館大学国際平和ミュージアムへ寄託された。

    山中高等女学校(広島女子高等師範学校付属)新原文恵さん
    【広島にて被爆・死去】 遺品 セーラー服 一点


 〜遺品について母からの手紙〜

 この服は被爆直前物資不足の折故中々入手出来ず、ところが通学途中によいのがあったと云って自分で買って来て大変喜んだ。然し一度も着用し通学出来なかった事は何と残念で仕方がない。白布で縫った制服でさへ着色する有様なので已むを得ない。
 最早二十四年目の今日色は変色し不潔な様で洗濯すればと思へどもあの愛らしい手で大変喜こびさわった品その跡の消えない物を保存して戴きたき故にこのまま送達する。母なくては味わふ事の出来難きこの悲しみ「あの当時の姿のみ常に目前にちらつきてやるせない」少しの遺品と別れるのも辛いけれど然し私蔵して居るより折角の御好意にあまへ永久に保存して戴く事が最大の幸と思ゐ御依頼する。
 此の上は子どものために回向し只冥福をお祈りするのみ
実に可愛想な文恵ちゃん父は重大責任の軍人
 私は今絶命するかと思ふ幼児を抱き探しに行く事すら出来ず以後も不明至極残念申訳ない御免なさいね。何処に埋れて居るのやら。では文恵ちゃんの遺物よ さようなら
                                    母


【おわりに…】
 「全國戦歿學徒を追悼する會」の皆様を中心に、我々兵庫県神道青年会も共催させて戴き、神社関係者はもとより淡路島民並びに全國各地の有志から赤誠の籠ったお力添えを賜わり、心を籠めて慰靈と顕彰のための祭事を継続しておられます。同廣場の再開には、まだまだ難問山積ではありますが、年々新たな局面を迎へ再建に対する気運も徐々に高まりつつあり、兵庫県当局も早期に解決に向けての打開策を講じたいとの方針です。
 就きましては、今日の平和への礎とならんと散華された學徒の御霊を追悼し、さらなる平和を希求する誓ひを御霊前に捧げ、前述の本名宮司の「追悼の儀式をご奉仕することが、今に生き生かされる者に与えられた責務だと思う。」の言葉の通り、学徒達と世代が近い青年神職として、平和のうちに暮らさせて戴いていることに感謝しつつ、当施設の復興への願いを込めて精力的に活動を興し、永遠に平和を願う場とすることを御霊前にお誓いする次第である。


 最後に兵庫県神道青年会では本年(平成十九年)迎えた四十周年記念の事業の中で、戦没学徒記念若人の広場復興計画として、神社界のみならず一般の方々にもご理解戴けるよう、自主制作「若人の広場は今」(十五分の短編)映画を制作致しました。また、再建四十周年記念式典に上映し、多くの方々より激励のお言葉を頂戴しました。現在も、一般の方に見て戴くために上映出来る機会を探しています。あの施設の惨状を多くの方に知って戴くためにも、何かの際にご上映、ご紹介下さいますようお願い致します。




                   (平成十九年十一月三日再稿)