神社の施設

神社の境内には様々な施設があります。
  それぞれの施設が何と呼ばれ、どのような意味や役割を持っているのかをご紹介いたします。


下の図の知りたい施設をクリックしてください。




鳥   居

言わずと知れた、神社のシンボルです。地図記号で、神社を表していることは、ご存知の事かと思います。
神社の内と外を分ける境に立てられ、内側は神様のお鎮まりになる御神域とされています。
鳥居をくぐると、背筋がピンとはる様な、神妙な気持ちになりませんか?
鳥居をくぐる前には、鎮座する神様への畏敬の念を込めて、軽くおじぎをしましょう。




参  道

鳥居をくぐって、神様の鎮座する本殿へ向かう道の総称です。
神社によって、石畳・玉砂利など色々な形が有ります。
参道の真ん中は、「正中(せいちゅう)」と言って、神様のお通りになるところですので、参拝の折には正中を避けて歩きましょう。




神門・楼門(ろうもん)

桜門ではありません。神社によっては無い場合もあります。
鳥居と同じく、神聖な場所と外界を隔てています。
社殿と並び歴史のある物も多く、装飾等を見るのも面白いです。
神社によっては、参拝時間以外は門が閉まっている場合もありますのでご注意を。




手 水 舎(てみずしゃ)

境内に入ると、手水舎があります。
もともとは、神様の前に出る前に、禊ぎ(みそぎ)と言って川や海で身を清めたことが簡略化されたものであると言われています。身も心も清らかにしてお参りをしましょう。

作法

1、備え付けの柄杓に水を入れ左手を清める。
2、柄杓を左手に持ちかえ、右手を清める。
3、再び柄杓を右手に持ちかえ、左手に水を受けて口を注ぐ。
4、最後にもう一度左手を清め、残った水で柄杓の柄の部分を清める。




社 務 所

神社の事務所です。
職員が常駐していますが、神社によっては無人の場合もあります。近所のお宮さんが普段無人で、ご用の場合は直接電話をかけていただくか、このホームページ内の「お問い合わせ」まで、お問い合わせ下さい。




狛  犬

邪気を払うものとして左右一対で置かれています。
鳥居と同じく、神聖な場所と外界を隔てています一般に、右側で口を開けているのが雄、左側で口を閉じているのが雌とされていますが、お宮によって表情も多彩で種類も様々です。
天神さんでは「牛」、お稲荷さんでは「狐」の場合もあり、これはお祀りされている神様のお使い(神使)であるとされています。
余談ですが、昔、日本昔ばなしで老人と子どもを狼の群れから守る狛犬の話が有りましたね。やはり、災い除けなんですね。




本殿・幣殿・拝殿

総称して社殿ともいいます。神社の最深部に位置します。

「本殿」

神様のお鎮まりになる御殿。一般の方は入ることは出来ません。
屋根は、檜皮葺(ひわだぶき)や銅板、瓦等が使われています。

「幣殿」

本殿と拝殿を繋ぎ、献上物等を置きます。

「拝殿」

参拝者が神様にお参りするところです。初宮参りや七五三参り、 厄除・安産等のご祈祷はこの中で受けます。
※拝殿に入る時には、神様の前ですので帽子は脱ぎましょう。また、飲食も控えましょう。



拝殿前には、鈴が吊されています。鈴は音色が清々しく、神秘的ものとされています。神様に奉納する神楽を簡略化したもので、参拝者の身を清める意味もあります。

参拝作法

『二拝二拍手一拝(にはい にはくしゅ いっぱい)』です。
衣服を正し気持ちを落ち着かせたら、二回おじぎをし、二回はくしゅをして、心の中で神様に感謝したり、願い事をして最後に一回おじぎをします。

『玉串を捧げる場合』 → 図説

榊の木に、紙垂や麻をつけたものを玉串といいます。
これは、神様に対するお供えの意味と、清らかな誠心を捧げる意味があります。
神前の台まで進み、軽く一礼をしてから、時計回りに回して根本をご神前(神様の方向)に向けて台の上に置きます。その後、『二拝二拍手一拝』の作法でお参りします。




神 饌 所

神様へのお供えものを準備する所。
普段のお供えは、御米・御酒・野菜・果物・塩水等。
早朝お供えして、夕方に下げます。
※拝殿内にある場合もあります。




摂社・末社

本殿以外に鎮座するお社です。お祀りされているのは、本殿の神様と縁の深い神様やその地域の神様が祀られている事が多いです。




紀元節

神武天皇の即位日である2月11日を祝うものである。
宮中三殿における祭典を紀元節祭、祝日を紀元節といった。明治6年より神武天皇即位日を宮中で紀元節を行う祭日とし、また国家の祝日とした。
紀元節の祝日は新年、天長節、明治節とともに四大節と称され、全国の小学校、各種団体などで種々の記念式典が行われた。また、大正3年以来、全国神社においても紀元節祭が行われるようになった。
紀元節は昭和23年に「国民の祝日に関する法律」の制定にともなって廃止されたが昭和41年国民の祝日として「建国記念の日」の制定に及び現在に至っている。




雛祭り

雛祭り(ひなまつり)は女の子の健やかな成長を祈る節句の年中行事です。
多くの場合3月3日が雛祭りとされております。(地域によっては異なることがございます)
もともとは旧暦の3月の節句である「上巳(じょうし)の節句」に行われていました。「上巳の節句」とは、三月上旬の巳の日に行われていたことからそう呼ばれております。また旧暦では桃の花が咲く季節になることから「桃の節句」とも呼ばれます。尚、現在では新暦の3月3日を「上巳の節句」「桃の節句」としております。
節句の紀元である古代中国では上巳の節句に水辺で美を清める風習がありました。
また日本では、古くは宮中で曲水(きょくすい)の宴が催されておりました。その宴の中で酒盃を流水に浮かべて、盃が自分の前を通り過ぎるまでの間に詩歌を詠むなどの遊びが行われており、これには流水による祓いの意味もあったようです。

雛祭りの起源は平安時代の貴族の女児の「遊びごと」であり、儀式的なものではありませんでした。
しかし平安時代には「流し雛」と呼ばれる身体についた穢れや厄災を移した人の形をした形代を河川や海に流す風習があり、穢れ払いとして雛人形は「災厄よけ」の「守り雛」として祀られる様になり、また上巳の節句も女児の健やかな健康を祝う行事へと変わり、これが江戸時代には全国に広まって飾られるようになりました。そして女児がいる家庭では雛人形を飾ることから、上巳の節供は雛祭りと呼ばれるようになりました。

雛人形は雅やかな宮廷の様子を模倣しており、お内裏様・お雛様と呼ばれる男女一対の雛は、天皇・皇后両陛下のお姿を模したものです。
ただし、本来「内裏雛」とは雛人形の男雛と女雛の一対を指すものであり、男雛を「お内裏様」、女雛を「お雛様」と呼ぶことは誤りであります。これは童謡「うれしいひなまつり」の歌詞によって起こった誤りと言われております。

なお、江戸時代後期頃、3月3日に雛壇に金魚を飾る風習があったことから、3月3日を「金魚の日」とも言います。


雛祭りは祓いという神道と密接な関わりがある意味合いを持った行事です。
全国で様々な雛祭りが行われております。「流し雛」を今もされているところも少なくはなく、また特殊な雛祭りも御座います。
次第に温かくなるこの季節に、そのような雛祭りをご覧にお出かけになられるのもいいかもしれません。




昭和の日(4月29日)



昭和記念公園

名称  昭和の日
 日本国の国民の祝日の1日
制定年

施行年
 平成17年(2005年)

 平成19年(2007年)
定義・趣旨 「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」
由来  昭和天皇の誕生日(昭和時の「天皇誕生日」「天長節」)
祭儀  昭和祭
備考  平成元年(1989年)から制定までは「みどりの日」であった。(「昭和記念日」という意見も出たが見送られる)
 以後「昭和の日」へと改める運動が起こったが、二度にわたり廃案。平成17年(2005年)、通算3度目でようやく国会で成立。
 現在日本でもっとも新しい国民の祝日。

※「みどりの日」は現在5月4日
参考サイト
(参考:ウィキペディア
昭和の日 - Wikipedia




5月5日

毎年5月5日『こどもの日』の祝日は、昭和23年(1948)7月公布・施行の祝日法によって制定され、端午の節句、菖蒲の節句ともいいます。

端午の節句は、五節句の一つであり、男子の健やかな成長を祈る風習があります。もともとは旧暦5月5日に祝われましたが、今日では新暦の5月5日に祝われます。

旧暦では午の月は5月にあたり、この月の最初の午の日を節句として祝っていたものが、のちに5が重なる5月5日が端午の節句の日になったといわれます。
「端」とは「始り」という意味で、もともと「端午」とは月の始めの午の日のことでした。後に「午」が「五」に通じることから5月5日を「端午の節句」と呼ぶようになったともいわれます。

この風習は、3世紀の中国で始まったとされ、邪気を祓い健康を祈願する日とされ、菖蒲酒を飲んだりする風習がありました。菖蒲は邪気を祓う作用があるとされ、現代の日本においても菖蒲湯に入る風習が残っています。(※ここでいう菖蒲はサトイモ科に属し、普段観賞されているのはアヤメ科に属します)

鎌倉時代、「菖蒲」が「尚武」と同音であるなど、端午は男の子の節句とされ、男の子の成長を祝い健康を祈るようになりました。鎧、兜、五月人形などを飾り、鯉幟を立てて祝われます。鯉幟は中国の故事にちなみ、出世を祈願しています。

粽(ちまき)や柏餅(かしわもち)を食べる風習もあり、粽を食べるのは、中国の詩人屈原の命日である5月5日に、国家試験に不合格であったことを悔やみ身を投げた河に粽を投げ入れ供養したことが由来とされます。
柏餅を食べる風習は日本独自のもので、柏は新芽が出るまで古い葉が落ちないことから「家系が絶えない」縁起物として広まりました。




母の日

『母の日』とは、日頃の母の苦労を労り、母の恩に感謝する日です。

その起源は様々ですが、日本では、昭和時代(戦前)に皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日(『地久節』戦前の祝日の一つで、皇后の誕生日を祝う日。『天長節』(天皇誕生日)と異なり、国の祝祭日として勅令で定められることはありませんでしたが、女学校等において休日として祝われました。また、昭和6年(1931)の大日本連合婦人会の結成とともに地久節が母の日に定められ、昭和戦前期を通じて祝われました。)に行われていましたが、1949年頃からアメリカの例に倣って、5月の第2日曜日に行われるようになりました。

南北戦争中、アメリカウェストバージニア州に、「母の仕事の日」(Mother's Work Days)と称し、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービスという女性がいました。

ジャービスの死後2年経った1907年5月12日、アメリカ・ウェストバージニア州で教師をしていた娘のアンナ・ジャービスが、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、カーネーションを贈りました。

ジャービスの母への想いに感動した人々は、母をおぼえる日の大切さを認識し、翌1908(明治41)年の5月10日、同教会に470人の生徒と母親達が集まり最初の「母の日」を祝いました。アンナは参加者全員に、母親が好きであった赤いカーネーションを手渡しました。

このことから、赤いカーネーションが母の日のシンボルとなったのです。アンナ・ジャービスは友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案。1914年に「母の日」はアメリカの祝日になり、5月の第2日曜日と定められました。




5月15日

 1951年(昭和26年)に署名された日本国との平和条約『サンフランシスコ平和条約』では、日本の主権は認めながらも沖縄はアメリカ合衆国の政権下に置かれるものとされ、1952年(昭和27年)4月28日に発効。

 アメリカは琉球政府を置き、公選の議員で構成される立法機関を設けるなど、一定の自治を認めたが、最終的な意思決定権はアメリカが握ったままであった。

 1950年に朝鮮戦争、1959年にベトナム戦争がおこり、アメリカは施政権下においての琉球自治から軍事基地としての重要性の方向に変わっていく。

 佐藤栄作政権は1970年(昭和45年)に予定される日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約延長と共に沖縄の本土復帰を緊急の外交課題としたが、70年安保延長反対を唱える日本社会党や日本共産党は安保と同列の沖縄返還論に反発し、反安保・反返還の運動を日本国内で繰り広げたが、住民の真意とはかけ離れたものとなった。

 1969年(昭和44年)の日米首脳会談でアメリカ大統領リチャード・ニクソンが安保延長と引き換えに沖縄返還を約束したが、公選の行政主席である屋良朝苗や復帰賛成派の県民の期待とは裏腹に米軍基地を維持したままの返還が決定。
 1971(昭和46)年6月17日に宇宙中継によって東京とワシントンで「沖縄返還協定」結ばれ、1972(昭和47)年5月15日午前0時をもって発効し、沖縄の施政権がアメリカから日本に返還され、沖縄県が誕生した。




衣替え

 現在日本では6月1日から夏服、10月1日から冬服とするとしている場合が多くなっております。これは太陰暦から太陽暦を採用された明治時代に定められたもので、その慣習が今も尚続いております。

 さて、神社での衣替えは異なり、立夏より夏服、立冬より冬服と定められております。(地域や風習によって異なる場合があります) 立夏は5月5・6日辺り、立冬は11月7・8日辺りになります。それを境に、装束等を変えることとなります。

 衣替えは元は平安時代に中国より伝わった風習ですが、現在では日本特有のものとなっております。
 四季がある国だからこその風習であります衣替え、季節を感じながら衣と共に身も心も一新されては如何でしょうか。




芒種

 二十四節季の一つで6月6日ごろにあたり、「ぼうしゅ」と読みます。

 (のぎ) とはイネ科植物の果実を包む(えい)、つまりは稲でいう籾殻にあるとげのような突起のことで、その芒をもつ植物の種のをまく頃をいいます。
(ただし実際にはこれより早くに種まきは行われております)

 西日本ではちょうど梅雨入りする頃にあたります。近畿地方の平年の梅雨入りが6月6日と発表されており、まさに近畿地方では梅雨入りの目安とも言うべき節季です。




時(とき)の記念日(6月10日)

日本の記念日のひとつ。(制定1920年 東京天文台(現 国立天文台)と生活改善同盟会による)

「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」

と日本国民に呼びかけ、時間の大切さを尊重する意識を広めるために設けられました。この日は記念日ではありますが国民の祝日ではありません。
 この記念日の由来ですが、日本書紀の天智天皇10年4月25日(新暦6月10日)の項に、

「漏刻を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す。」
とあります。「漏刻」とは水時計のことであり、日本初の時計が鐘を打った日が6月10日であることから、この日を時の記念日と制定されました。




「入梅(にゅうばい・ついり・つゆいり)」(6月11日頃)

 雑節のひとつ。

 本来は「梅雨入り」の漢語的表現で、梅雨の季節全体を「入梅」と呼ぶ地方もあります。

 かつては芒種の後の最初の壬の日を梅雨入り、小暑の後の最初の壬の日を梅雨明けとしていた時期もありましたが、現在は太陽黄経に基づいております。
 本当の梅雨入り・梅雨明けの日付は年や地方により異なりますが、田植えの日取りを決めにあたり梅雨入りの時期を知ることは農家にとって重要でありましたので、その目安としてこの暦日が設けられました。

 現在の「入梅」は実際の梅雨とは関係のない暦日となっております。




父の日

 五月第2日曜日が「母の日」で在るのに対して、六月第3日曜日は我が国では「父の日」とされております。
 この日は母の日と同様、「父に感謝する日」であります。

 やはり起源はアメリカより起こりました。
 ジョン ブルース ドット(アメリカワシントン州)が、母を亡くし自分を男手ひとつで育ててくれた父ウィリアム ジャクソン スマートに感謝し、1909年の父の誕生日6月19日(第三日曜日)に礼拝をしてもらったことがきっかけとされています。

 1916年アメリカ合衆国大統領ウッドロー・ウィルソンの時に父の日が認知されるようになり、1972年アメリカでは国民の祝日として制定されました。

 我が国では1950年代ごろから知られるようになりました。

 母の日にはカーネーションが送られるのに対し、父の日の花は薔薇、特に白い薔薇です。




敬老の日

 9月15日は国民の祝日であります『敬老の日』です。
『敬老の日』とは、長きに渡り我々社会のために貢献された高齢の方々をを敬い、更には長寿を祝う日であります。

 実はこの日、兵庫県が発祥の地とされているのです。
 その歴史をたどると、昭和22年(1947)兵庫県多可郡野間谷村(現在の多可町八千代区)の当時の村長並びに助役が、年寄りへの感謝・敬う心のもとに9月15日を『としよりの日』と定め、「敬老会」を開催したのが始まりとされています。昭和25年(1950)年には県下に、さらには全国へと広がりました。またその名称も、『としよりの日』⇒昭和39年(1964)『老人の日』⇒昭和41年(1966)『敬老の日』と改称され、国民の祝日となったそうです。

 今日は肩タタキなんていかがでしょうか?




秋分の日

 天皇が、歴代の天皇をはじめとする主たる皇族の霊を奉祀する『皇霊祭』は、春分の日『春季皇霊祭』と秋分の日『秋季皇霊祭』の年二回です。  

 昭和22年(1947)までの『秋季皇霊祭』という祭日は、昭和23年(1948)公布施行の祝日法(国民の祝日に関する法律)により、「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」ことを趣旨とする『秋分の日』(国民の祝日)として制定されました。

 また「祝日法」の施行に伴い、大正元年(1912)より施行されていた勅令「休日ニ関スル件」が廃止となりました。  

『秋分の日』は毎年9月23日ごろですが、具体的には国立天文台が作成する『暦象年表』に基づき閣議で決定されています。




神社の色々

初午祭

 2月最初の「午(うま)」の日に、全国の稲荷神社で行われるお祭です。
 初午祭の起源は、和銅4年(西暦711年)の初午の日に、稲荷の神さま(「宇迦之御
魂神〔うかのみたまのかみ〕」五穀豊穣の神さま)が京都・伏見稲荷にご出現になられた
ので、この日を記念してお祭が行われると伝えられています(伏見稲荷大社は、全国の稲
荷神社の総本社として崇敬を集めています)。

 この時期は農事始めとなっているので、その年の五穀豊穣や商売繁盛を祈念する参詣者
で賑わいます。また、家庭や企業でお祀りされている稲荷社でも、初午の行事が盛んに行
われています。

2月の2回目の午の日を「二の午(にのうま)」、3回目を「三の午(さんのうま)」と言い、これらの日にも祭礼を行う地方もあります。




厄年と厄除

 厄年とは古来より災難が多く行いを慎む年と言われ人生の節目でもあります。
 ただ厄という言葉から災厄を蒙るべき年として怖れる時期とだけとられるが、いろいろの観点で一生の人生行路に折目となるべき時期として忌み慎むべく特に年祝をしたのが本義です。人生の転換期に相当する年齢は家庭的にも最も大切な時期であるので特別の物忌戒慎が要求せされました。
 現代においてもこの時期が社会的に重要な地位に置かれる年輩であるが故に、日常の生活に一段の慎みを深くして、厄災を除くべき配意を怠ってはなりません。
 厄年には神威を仰いで禍津毘(厄災の根元)を除き、清く直く明るく正しく生きぬく信念を強固にしつつ一向(ひたぶる)に生活の安らぎを期することにつとめましょう。

 厄除とは厄年に当る年頭に年祝をする行事です。
 神社に詣でて祓を受け親戚知己を招いて饗宴を張り、ひたすら年内の平安を希求するのが一般の習わしです。
 厄年に当たった人は神社に参拝して災いを福に転ずるために厄除のお祓いを受けます。




えべっさん

「えべっさん」の名で親しまれている「えびす神」は、狩衣姿に烏帽子をつけ、右手に釣竿を持ち、左脇に鯛を抱える海運守護・商売繁盛の福神様です。
「えびす」という神様の名は古典や神々の系譜にはその姿を現しておりませんが、主に蛭子命(ヒルコノミコト)か、事代主神(コトシロヌシノカミ)をさします。
 共に海に関わり深い神様で、蛭子命は「古事記」・「日本書紀」の記述にも見られる通り、イザナギ・イザナミ命の御子で、手足が不自由であったため、海に流されましたが、海上から漂着された神様ということから、豊漁の神、やがて商売繁盛の神となられました。
一方、事代主神は、大国主命の御子で、海で釣りをされるご様子が、えびす神のごとき御姿であったことから、その名が付けられております。
 この「えびす神」を祀る神社の多くは、毎年一月十日を中心に「十日えびす」と呼ばれる祭りが斎行され、商売繁盛にご利益(ごりやく)のある福笹や熊手などの授与が行われます。




夏越の大祓・茅の輪くぐり


 境内に茅を束ねた巨大な「茅の輪」を立てて、それを左まわり・右まわり・左まわりと3回くぐり日常生活の中で知らず識らずの内に心や身体についた「罪」や「穢れ」を祓い清め、疫病や災厄除けとし、気持ちも新たに日々を過ごします(これを「茅の輪くぐり」「輪ぬけ」と言います)。
 通常は、6月30日と12月31日に行われますが、神社によっては夏祭に合わせて茅の輪くぐりを行う場合もあります。
 また、「茅」と「知・智」をかけて、知恵授けの輪と伝える地方もあります。
茅の輪くぐりにあわせ、「人形(ひとがた・人の形に紙を切り抜いたもの)」に、名前と年齢を記し、その人形で身体を撫でて息を吹きかけて自身の罪穢をうつし、海や川などに流しお清めとします。




 また、茅の輪くぐりの由来として『備後風土記』逸文に蘇民将来(そみんしょうらい)と巨旦将来(こたんしょうらい)の話があります。素戔嗚尊(すさのおのみこと)が旅をしていた時のこと、一夜の宿を求めたところ、裕福な巨旦将来はこれを拒否し、貧しい蘇民将来は快くもてなしました。次の日、家を出る時に、素戔嗚尊は茅の輪を作り疫病除けとして蘇民将来の一家に与え、一家はその年に流行した疫病を避ける事が出来たと伝えられています。




神主さんは宮司さん?

 神社の神主さんにも役職や身分制度があります。神社の一つ一つが会社と考えると、社長は宮司になります。取締役には責任役員が当たります。権宮司と言う宮司を補佐する(ほとんど副社長)役職がありますが、取締役ではなく、統括役のような物です。その次が禰宜となります。ほとんどの神社は宮司の次に禰宜がきます。(権宮司は居ません。)そして、権禰宜と言って、禰宜を補佐する役職があります。しかし、神主さんが一人しかいなかったり、ある家の主人が代々の宮司さんをしている場合は、神主イコール宮司であり全国的にはこのようなケースの方が多いようです。又、この役職の他に、神社本庁が定める神主の身分があります。これは神主の袴の色でわかります。上から特級(白色で藤の丸紋がついてます。)、一級(紫色で藤の丸紋がついてます。)、二級上(紫色で藤の丸共緯紋がついてます。)、二級(紫色で紋なし)、三級・四級(浅黄色で紋なし)となります。ほとんどが浅黄色の三級・四級の神主さんです。




神社の格付けってなに?

 社格と云う言葉があります。祭祀上、特に重んじなければならない神社・崇敬上、特別な扱いをしなければならない神社など、これらが国家の制度や、慣例として樹立されたのが社格と言われている物です。今日よく使われるものとして、式内社・式外社、大社・中社・小社、官幣社・国幣社、一宮・二宮等、勅祭社、総社、郷社・村社・無格社等があります。




ご本殿ってなに?

 神社にある建物(施設)の主な物としては、

・本殿 神霊の在す所。御霊代を奉安する。
・社務所 社務をとる場所。
・幣殿 幣帛を奉献する殿舎。
・祝詞殿 祝詞を奏上する殿舎。
・拝殿 奉拝のための建物。祭員・参列者が着席する殿舎。
・神饌所 神饌を調理し、格納する所。
・祭器庫 祭典の用に供する器具を格納する所。
・神庫 御祭神のお使いになる御神宝類を収納する所。
・神楽殿 お神楽を奏し、祈願を行う所。
・祓殿 修祓を行う殿舎。
・神輿舎 神輿を格納する所。
・その他

といろいろある。これらの建物の全てが揃っているわけではないが、神社にはおよそこれらの建物がある。この中で一番重要で、たいがい境内の奥にあるのが、御祭神がお祀りされている御本殿がある。




狛犬(こまいぬ)ってなに?

 狛犬は、神社社殿の内外に守護の役目をもって置かれる霊獣で、向かって右側が獅子、左側で角のあるのが狛犬 、獅子・狛犬一対を一般的に狛犬と呼んでいます。素材は、木・石・陶磁・金属で、本殿などに描かれることもあります。獅子は口を開け「阿」、狛犬は口を閉じ「吽」の表情をしており、初めと終わり、この世の一切の物事の原理を示すと言われています。守護獣としての獅子の起源は、古代オリエントにあり、エジプトのスフィンクスもルーツは一緒です。狛犬は高麗犬とも書くので、朝鮮半島が起源との説もありますが、その形態は、中国の思想上の動物で正邪を分かつ一角獣、カイチなどを当てたと見られます。遣唐使などによって日本にもたらされ、初めは鎮子(おもし)などとして宮中儀礼の調度として置かれました。その後、神社・寺院でも用いられるようになり、魔除の守護獣として鋭い眼光を放っています。




鳥居(とりい)ってなに?

 鳥居は、神様がお鎮まりになっている場所であるという神域の表示、あるいは神社の門などとして建てられています。その起源は、社殿の周囲の玉垣(たまがき)・瑞垣(みずがき)や透塀(すきべい)などに出入口として設けた門柱が様式化されたものと考えられており、名称の由来は、鳥の居やすいところ、通り入る、汚れを止める処など定説はありません。神社によって様々な型の鳥居の形がありますが、基本は、左右二本の柱の上に水平に笠木(かさぎ)をわたし、その下に柱を連結する貫(れき)を通した構造になっています。地図記号で神社を示しているのは鳥居であるように、鳥居は神社のシンボルであると言えるでしょう。




注連縄(しめなわ)ってなに?

 注連縄(七五三縄)は、神前又は神聖・清浄な場所を標すために、鳥居・社殿・手水舎などに引き亘し、或は張り廻らされたもので、毎年新しい稲藁で作られます。これは、稲藁には神聖なる稲霊が籠もっているという信仰に因るもので、そうした霊力によって結界を行い、神聖性・清浄性を保持しているのです。その起源は「古事記」「日本書紀」神話の中、神代巻天岩屋戸(かみよのまきあめのいわやと)の場面で登場する「尻久米縄(しりくめなわ)」(日本書紀では「端出之縄(しりくめなわ)」)であると云われます。

 今日でも縄張りという言葉があるように縄を張り廻らすことはその区域の占有を意味し、祭祀にあっては神々の治(し)らしめす所・神域となり、常人ではその内を侵すことは許されません。身近なところでは、ご家庭の神棚またはお正月の注連飾り、門松などで見かけることができます。




神社ってなに?

 簡単に云ってしまえば、神様を礼拝する施設。
 ということになるのですが、それだけでは、キリスト教の教会や、家の裏にある祠なんかも神社になってしまいます。

 そもそも、古代では神様をお祀りするのに今のような社殿などなく、大木や巨岩、山などが神様が降りられる場所、鎮座される場所と考えられ、そこに臨時の祭場が設けられていたのが、雨風をしのぐためや、仏教などの影響から今のような神社の形態に変わっていったのです。)地図記号にもなっており、ほとんどの神社にある鳥居を以て、他の礼拝施設と区別すると、中には、鳥居のない神社もあるので、少々困ります。

 では、何を以て神社とするか。

 まず、神様の居る本殿は、共用の施設であってはならない。つまり、住宅の中に祭壇を設けたものは神社とは見なされない。次に神道の八百万の神々が座し、神道の儀礼によった奉斎され、崇敬に必要な施設を有し、祭祀や崇敬する人がいるところ。を神社と考えて良いと思います。




神社は神道?

 神道という言葉は、最初日本書紀の用明天皇巻に出典があります。 このころは日本の神を表す言葉として使っていたようです。

 その後、神道は仏教や儒教に対して、日本民族古来の伝統的宗教で独自のものであり、且つ権威あるものとして使われるようになります。